鬼ノ城(きのじょう)
吉備高原の最南端を占める標高約400mの鬼城山(きじょうざん)の山頂付近にある周囲2.8キロの城郭跡で城内面積はじつに30万平方メートルに及ぶ。
城壁の大きさは、平均的に幅が7m、高さ6~7mで土石混築城となっている。
城壁の東西南北4か所には城門をひらき、また雨水を城外へ排水するための水門が6か所設けられている。
城内には、食品貯蔵庫と考えられる礎石建物跡やのろし場、水汲み場もあり、長期滞在も可能な山城だったといえる。
『日本書紀』などには西日本の要所に12の古代山城を築いたと記されており、鬼ノ城も防衛施設の一つであろうと推測されるが、一切の記録がないため神籠石式山城に分類される。
鬼ノ城の名の由来は「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)といった。彼はやがて備中国の新山に城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼んだ」と鬼ノ城縁起などに書かれている。(温羅伝承)現在新山集落の一画に温羅伝説の鬼が使用していたとされる「鬼の釜」という大釜がある。