古代の日本は、中国の影響を強く受けていました。中国に有力な王朝ができると、すぐに使者を送っています。中国の歴史書に登場する日本の記述では、邪馬台国の卑弥呼や倭王武の上表文などが有名ですが、歴史書に記載されない交易や外交などは各地で頻繁に行われていたようです。
中国の三国時代には呉などが東南アジアから一部ヨーロッパに至るまで交易を行っていたことが記録に残っています。日本にも呉の年号を刻んだ銅鏡などが出土しており、その交易の多様さが伺えます。
現代人が歴史を見るとき、無意識のうちに「国境」を意識してしまいますが、この時代にはこうした国境はなかったでしょう。特に九州地方の人にとって、朝鮮半島や中国はとても身近な存在であったことは間違いありません。「倭国」=「日本」と捉えがちですが、中国の王朝からすると、朝鮮半島の南から日本はあまり区別がなかったのかもしれません。
西暦(年) | 日本の出来事 | 中国 |
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0 | 倭国百余国に分かれ、漢の楽浪郡と交易をする。 | 漢 |
57 | 倭奴国王、後漢に朝貢し金印を授かる | 後漢 |
107 | 倭国王帥升らが後漢に生口を献上。 北九州、出雲周辺に王権が存在か。 倭国大乱 |
後漢 黄巾の乱 |
221 | 蜀が建国し三国時代に 魏・呉・蜀 |
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236 | 公孫氏が魏に反旗 238に魏に鎮圧される |
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239 | 邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送る | 魏(三国時代) |
248 | 卑弥呼死す。宗女の台与を女王とする。 | |
266 | 女王(台与)が晋に使いを送る。 | 魏が滅亡 晋が起こる |
280 | 呉が滅亡 三国統一(晋) 陳寿が三国志を撰 |
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300ごろ | 近畿地方で前方後円墳の築造がはじまる。 「空白の4世紀」と言われる |
匈奴が中国に進入(五胡十六国) |
391 | 倭国朝鮮出兵し高句麗と交戦(好太王碑文) | |
413 | 安帝の時倭王「賛」あり(梁書諸夷伝) | 東晋 |
420 | 宋が建国、東晋滅亡 | |
421 | 倭王讃、宋に使いを送る。 | |
438 | 讃没し弟珍が王となる。珍、宋に遣使する | 宋 |
439 | 北魏が 華北を統一、南朝の宋と南北朝時代へ | |
443 | 倭王済、宋に遣使 | 宋 |
462 | 済没し世子興たつ。興、宋に遣使する | 宋 |
478 | 倭王武が宋に上表文 | 宋 |
479 | 南朝の宋が滅び斉が建国 | |
500ごろ | 百舌鳥・古市古墳群(大阪)で巨大な古墳が出現 | |
502 | 斉が倒れ梁が建国 | |
527 | 磐井軍とヤマト王権軍の戦い | |
534 | 北魏が東西に分裂 | |
538 552 |
百済から仏教が伝わる | |
562 | 任那の日本府がほろぶ | |
589 | 豪族同士の争い(蘇我氏vs物部氏)587年ごろから | 随が中国統一 |
600 | 倭王阿毎、隋に使いを送る | |
607 | 遣隋使(小野妹子) |