福岡県春日市教育委員会は2015年5月27日に、同市内の須玖タカウタ遺跡で、国内最古となる紀元前2世紀ごろ(弥生時代中期前半)の青銅鏡鋳型(石製)の破片が見つかったと発表しました。
このことは日本の青銅器生産の歴史を大きくかえる発見であります。従来は1世紀ごろに国内で生産が開始されたとみられていましたが、200年ほどさかのぼることになります。
さらに、「三角縁神獣鏡」が魏鏡なのか国産なのかがよく議論されますが、この論争にも影響を与えるかもしれません。
須玖タカウタ遺跡の位置は福岡市の南方に位置し、「魏志倭人伝」に登場する奴国の中心部にあり、青銅器生産の拠点があったとみられており、これまでも多数の鋳型が発掘されています。(2014年には最古の土製の青銅器鋳型も発見されている。土製鋳型の方が細かい細工ができる。)
銅剣・銅矛・銅戈などは弥生中期前半(紀元前2世紀)には国内で生産され始めたことがわかっていますが、多鈕鏡については、従来は生産されないままとされ、青銅鏡の生産そのものが弥生後期初頭(紀元1世紀)の小型彷製(ぼうせい)鏡からと考えられていました。
つまり、今回の発見により、他の青銅器と同時期に国内での生産が開始されていたことが確認されました。また、土製鋳型と石製鋳型が同時に出土しており、九州では土製鋳型が普及しなかったという説を覆すことになりました。
春日市教育委員会の見解によると、「多鈕鏡以後に流入する中国・前漢鏡も国産の可能性が浮上してきた」そうです。
また、福岡大学の武末純一教授は、今回の発見は「弥生時代中期前半には多鈕鏡が作られていたことを示すもので、当時、日本に高い鋳造技術があったことが明らかになった。・・・前漢鏡も本当にすべて中国製なのか検討する必要が出てきた。」と述べています。
上記の識者の発言では前漢鏡にしか触れていませんが、「三角縁神獣鏡」も中国ではほとんど発見されていないし、国産なんじゃないか、、、と思ってしまいます。