高良山神籠石(こうらさんこうごいし)福岡県久留米市御井町高良山
古くは「八葉の石畳」と呼び、高良大社の縁起の中で、結界の表示として語られていたが、古代の山城の一種とするのが通説である。(築城年代は7世紀とされるが確証はない)
列石は1m程度の切石を一列に並べたもので、高良大社社殿背後の尾根(251m)を最高所とし、南側の尾根にそって下り、西裾の二つの谷を渡り、1300余個、延々1600mに及ぶ。水門の基底部の石組みが残っている。(水門は2箇所確認されている)北側は破壊されたようで残っていない。(天武朝のときに起きた筑紫大地震による崩壊説、久留米城築城のときに持ちだされたなどの説がある)
「神籠石」という名称は、高良山の城跡が起源といわれている。高良山のある岩に馬のひづめ形の穴があり、それが馬蹄石として神話化され神が宿るとして名付けられたと言われている。