堺市西区
履中天皇陵、石津ヶ丘古墳・百舌鳥陵山古墳などの呼び名を持ち、宮内庁が管理している、墳丘の全長約365メートルの前方後円墳(3番目に大きい)
主体部の構造や副葬品などはわかっていないが、墳丘は3段築成で、葺石と埴輪があり、2重の周濠が見つかっている。
4番目に大きい、造山古墳とはほぼ同時期で、同形式とみられ、大和王権と吉備とのつながりが注目される。
[注意]履中天皇は仁徳天皇の第一皇子で、仁徳天皇崩御後に即位した天皇であるが、ミサンザイ古墳は仁徳天皇の陵墓に比定されている大仙陵古墳よりも古い時代に造築されたと考えられている。「履中天皇陵をそのまま履中天皇の墓とするのは難しい」と堺市世界文化遺産推進室の白神典之主幹。さらに墳丘1段目がほとんど水面に隠れており、水面下の分も合わせると全長は400メートルにもなるという。