吉武高木遺跡(よしたけたかぎいせき)福岡市西区
早良(さわら)平野の中央部を流れる室見川の東にあり、西は飯盛山に抱かれ、旧石器時代から中世にいたる複合遺跡。周辺には、弥生時代前期末~中期後半の甕棺(かめかん)を主体とした墓地である吉武大石遺跡、中期後半の墳丘墓である吉武樋渡(ひわたし)遺跡などがある。
早良(さわら)平野の中央部を流れる室見川の東にあり、西は飯盛山に抱かれ、旧石器時代から中世にいたる複合遺跡。周辺には、弥生時代前期末~中期後半の甕棺(かめかん)を主体とした墓地である吉武大石遺跡、中期後半の墳丘墓である吉武樋渡(ひわたし)遺跡などがある。
1984年の調査では、甕棺墓34基、木棺墓4基、土坑墓3基が発見され、銅剣、銅矛などの武器類、多鈕(たちゅう)細文鏡、銅釧(どうくしろ)、翡翠製勾玉(まがたま:富山県糸魚川産)などの玉類が出土した。なかでも三号木棺墓から出土した「銅鏡・勾玉・銅剣」の三点セットは、現時点で最古の「三種の神器」であろう。また大石地区では、1985年に200基の墓(甕棺墓を中心に)が見つかっており、未調査区域をあわせると2000基以上の墓があるとされる。
当時としては弥生時代中期はじめ(紀元前100年ごろ)にこれほどの副葬品がまとまって出土するのは珍しく、「早良王墓」と呼ばれ、魏志倭人伝に記載される伊都国と奴国の中間に位置する王国(早良王国)の存在したのではないかという推定もなされた。
現在、現地はやよいの風公園として整備されている。