埼玉稲荷山古墳(いなりやまこふん)埼玉県行田市にある埼玉古墳群の中にある前方後円墳。(全長は120mで、12m近い高さがあり、周囲には2重の堀が巡っている)
古墳時代後期の5世紀後半に造られたようで、大仙陵古墳をモデルとした墳形と見られている。後円部の円頂には埋葬施設の復元があり、階段で登れば見ることが出来る。
出土品のうち、金錯銘鉄剣(きんさくめいてつけん)は、百十五字の銘文が刻まれており、五世紀の古代社会が大きく変容をとげている時期のきわめて数少ない史料で、現存最古の日本の文章といえる。
内容は古代氏族の在り方を伝え、『古事記』、『日本書紀』に伝えられた日本古代国家の歴史を一層明らかにするもので、古代史研究上特に価値が高い。
(表)辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、(名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。
(裏)其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケ(キ)ル(ロ)の大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。
明治期に熊本県の江田船山古墳からも銀象嵌の銘文を有する鉄刀が出土している。この鉄刀にも当時の大王の名が刻まれていたが、保存状態が悪く、肝心の大王名の部分も相当欠落していた。金錯銘鉄剣(稲荷山鉄剣)の発見により記された大王の名前が獲加多支鹵大王(ワカタケル大王、雄略天皇)であるとの説が有力となった。
同時に伴出品も鉄剣銘との関連において、古墳時代遺物の編年研究上貴重な資料であり、その学術的価値はきわめて高いものがある。他の出土品とともに「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」として国宝に指定されている。(神獣鏡、硬玉勾玉、金銅帯金具、馬具類、)