造山古墳(つくりやまこふん)岡山県岡山市北区
墳丘の全長が、350mの巨大な前方後円墳。日本で4番目に大きい古墳。築造時期は5世紀中葉までといわれている。いまだ発掘調査はされておらず、石室の構造や副葬品なども不明である。
墳丘は三段に築かれていて、葺石がほどこされ、格段の縁には円筒埴輪が並べられていた。前方部には荒(こう)神社が建てられているが、石棺が手水として用いられているが、付近の古墳から盗掘されたという説もあるが、どこのものか詳細は不明。
周囲には榊山古墳(造山第1号墳)や千足装飾古墳(造山第5号墳)などがあり、大量の鉄製品や朝鮮半島からの舶来品と思われる土器などが出土している。
この規模の古墳となると、吉備の国王というよりは、国内でも有数の権力者であった可能性も高い。これらの古墳群の副葬品で阿蘇山系の凝灰岩を用いたものもあり、九州との交流もうかがわれ、瀬戸内海の航路をおさえ物流を支配していたことも考えられる。大和王権とのつながりとしては、履中天皇陵(ミサンザイ古墳)との酷似で、およそ96%のサイズでつくられている。また埴輪なども畿内の技術が使われているようである。
第1位の大山古墳(伝仁徳天皇陵=全長486m)と第2位の誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵=全長425m)は、造山古墳より後の時期であり、同時代につくられた履中天皇陵(ミサンザイ古墳)とともに当時の最大規模であった。