Radius: Off
Radius:
km Set radius for geolocation
Search

Showing 5 from 28 Items

Count:
Sort by:
Order:

平原遺跡(ひらばるいせき) 昭和40年に行われた発掘調査で、銅鏡40面やガラス玉、勾玉、メノウ製管玉、素環頭大刀(鉄刀)、鉄器などの出土品が多数出土している。なかでも内行花文鏡は直径が46.5cmもあり、現時点では日本で最大の銅鏡である。(八咫の鏡) 天皇家に伝わる三種の神器である鏡、勾玉、剣のすべてが出土している点も注目され、卑弥呼は伊都国出身で、その生誕地に埋葬されたのではないかという説もでている。…

原の辻遺跡(はるのつじいせき) 弥生時代の環濠集落で、『魏志』倭人伝に記された「一支国(いきこく)」の王都に特定された遺跡(国の特別史跡に指定)。遺跡は居住域のある丘陵部を中心に東西約350メートル、南北約750メートルあり、環濠外の別丘陵部に墓域をつくっている。 日本最古の船着き場の跡や当時の「一支国」が交易と交流によって栄えていたことを示す住居跡などが確認されている。 壱岐の他の遺跡に比べ、出土品が突出していることから「一支国の拠点集落=王都」とされている。  

弥生時代の大規模な環濠集落

吉野ケ里遺跡(よしのがりいせき) 脊振山地南麓の丘陵地帯にあり、有明海も望めるところに位置し、縄文時代後期には、吉野ヶ里の周辺部に人が生活していたと推定され、稲作文化がはじまる弥生時代全般の変遷をみることができる遺跡である。現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園となっている。(東京ドーム10個分の広さ)50ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡があった。…

標高246mのホトギ山から西に伸びる尾根の主に北斜面に広がる遺跡。景行天皇が熊襲征伐の際に、この地に立ち寄ったと伝えられ、景行神社が鎮座している。版築工法で土をつき固めた土塁をめぐらせ、排水口を備えた石塁もある。7つの城門が確認されている。

大宰府政庁跡(だざいふせいちょうあと)。都府楼跡(とふろうあと)ともいう。 万葉集には”遠の朝廷(みかど)”と詠まれ、その規模をしのばせる立派な礎石が残る。 大君の 遠の朝廷と あり通ふ 嶋門を見れば 神代し思ふ(柿本朝臣人麻呂) その規模は平城京や平安京に次ぐ大きなものであり、南北22条、東西24坊の都市計画があったという説もある。…